SA-CHiN☆★☆の ケ・セラ・セラ日記 plus

しっかり者のHIRO☆★ と 尚兄ぃ&実ぃの成長、ちゃらんぽらんなSA-CHiN★☆の記録

て〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこえ あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

              わ                  たしな

    🌱敵となる人こそは 己が師匠ぞと 思ひかへして 身をも嗜め🌱

 

      本来、自分の敵となる人は 大抵 憎むべき人であろうが、

 

            見方を変えて考えると、敵とは

 

    自分に油断をさせず、刺激を与え、自分を磨いてくれるものである。

 

      そう考えると、敵とは 良き手本となるものである。

 

          敵こそは 自分の師匠のように捉えて


         敵にも慈悲の心を忘れずに、我が身を慎め。

 

 
       ー冷静に観察すれば、敵は反面教師として見えてくるー

 

  
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自分のこれまでの人生では、

ふ〜郷中教育〜 - SA-CHiN☆★☆の ケ・セラ・セラ日記 plusでも記しましたが、

あまり「敵」「味方」という認識を持たないまま過ごしてきました。

それ故に、婆婆(実母)が言う言葉

      「他人に出し抜かれないようにしなさい」

      「皆んな陰で分からないように勉強しているから 貴女も勉強しなさい」

という言葉が学生の頃、不快でなりませんでした。

勉強って、自分で「やろう!」と思わなければ、

いくら机に向かい、教科書や参考書を広げても、能率は上がらないし、

他の事を考えていては問題は解けないと思うんだけど…。

 

たぶん、戦争を経てきたか否か という時代環境の違い、

生活に緊迫感があるのか否か の差が大きいのかもしれません。

 

        🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

私はこれまで「人を区別・差別しないで接する」ように心掛けてきたように思います。

それは、小学校一年生の時に遡りますが。。。

 

小学校の放課後に 珍しく友だち数人と遊ぶ約束をした日がありました。

    (宿題をしてからしか遊べなかったわが家。

     友だちは皆、夕方5時まで遊んでから、
       夕食前までに宿題を済ませる約束になっていたらしい)

この日の私は、友だちに誘われたのが嬉しくて、

《わが家のルール》を破り、遊びに出掛けました。

 

いつもは 決して1人では行くことのない学区内の地域に

友だちと足を踏み入れるのは 私にとっては 大冒険で、
とてもワクワクしていた事を覚えています。

そんな中、男の子の1人が

「Mくん(転校生)の家がこの辺にあるよー。」

と言って、皆んなを誘導して行きました。

「この辺だと思うんだけど…」

とその男の子はキョロキョロしていましたが、

その辺りには家らしい家はありませんでした。

そんな時、偶然、目の前にあった小屋の戸が開いて、

Mくんが出てきました。

「えっ? お前ん家、ココなん?ボロ屋だなぁ。」

と1人の男の子が 口を開きました。

すると、別の男の子が

「やーい、やーい、貧乏人!」

と囃し立てました。

「「やーい、やーい、貧乏人!」」

一緒にいた友だち男女数人が、煽りに乗って囃し立てます。

 

私は、一緒に遊んでいたのに、急に一人ぼっちになってしまいました。

   (そんなこと言ったら可哀想だよ…。

    お家じゃなくて、用事があった小屋かもしれないし…。)

そう思いましたが、口に出すことはありませんでした。

Mくんは扉の側に立ち尽くして、私たちを見ていました。

 

私は子どもながらに

    《この場にいたこと、(この煽りを)止められなかったことを

     私は いつか 後悔するかもしれない。》

と思いました。顔こそ忘れてしまいましたが、

Mくんの困惑した雰囲気は、今もなお 忘れられません。

 

        🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

こんな私ですから、自分と「気が合わない」と思う人や、

敵対している(かもしれない)人には 積極的には近づかないにせよ、

時と場合によっては区別や差別なく、話し掛けます。

嫌がられることもあるのでしょうが、

せめて、見知った人への挨拶だけは忘れないようにしています。

もう少し、踏み込んで、「何が壁になっているか」分析してもいいのですが、

今は 婆婆のことやらで 心に余裕がないので、そこまでは…。

 

        🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂



自分自身が後悔せぬように、

その時その場所で 自分が取るべき行動を取れればいいのかもしれません。

他の人の行動で「アレは 良くないなぁ…」と思われることは

人のふり見て我がふり直せ」的に 反面教師として、心に刻むのが良いと思います。

 

島津日新公は、「敵さえも 師匠のように捉え、自分を悟すと心せよ」と

対峙しながらも、常に慈悲の心を忘れずに向き合っていかなければならない

と、この《いろは歌》で説いています。

 

昨今の出来事や事件を思うと、敵対する相手は、師匠のようにはとても思えず、

「訳が分からない」突飛なことをする相手に思えることも多々あります。

この歌、島津日新公の思いが通じるような世の中であって欲しいなと思いますが、

如何 思われますか?

 

  

 

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え〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこあさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

      えこう              かんきん

    🌱回向には我と人とを隔つなよ 看経はよししてもせずとも🌱

 

            死者を弔って極楽往生を祈る時

 

          敵 味方を分け隔てなく、等しく祈りなさい。

 

           たとえ お経を読もうが読むまいが、

              それより真心を込めて まつることが大事である。

 


       ー戦死者を弔う時は、敵味方関係なく、真心から冥福を祈ろうー

 

  
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回向(えこう)とは、お経をなどをあげることで 積み重ねた徳を

          個人に回し与え、故人が浄土へ行けるようにすると同時に、

          お経を唱えた人にも 浄土への道を開くという意味。

              (大乗仏教における考え方で、追善供養のこと)

 

看経(かんきん)は、禅宗で、声を出さずに経文を読むこと。

 

『世界は1つ』とは言えない状況がある。

     国が違う、地域が違う、宗教が違う、人種が違う、民族が違う、

     主義主張が違う、

     利害関係がある、主従関係がある、

     守りたいものがある…

お互いの違いから、相容れない状況になると、紛争が生じ易い。

紛争が生じると、話し合いによる解決で済めば御の字だが、

戦争…武力で解決しようとする動きが出てくることがある。

そうなれば、どのタイミングで終戦の線引きができるのか?

    多くの人命を失い、資源を無駄にし、国の豊かさを失い、

    全てを一から、いや、ゼロから再生していかないといけないような

    憂き目を見ることになるのに、

    未だ世界から紛争が絶えることがない。

 

まだ、再生できるものは 救いがあると思う。

しかし、人命は再生不可能なのに、戦争では多くの人命が失われてきた。

この失われた命…戦没者たちは 自陣にせよ、敵陣にせよ、

守るべきものへの思いを胸に抱いて 散っていった尊い命だったはず。

 

島津日新公は 実際に敵味方の区別無く 供養塔を建て、

戦死者の冥福を祈られた。

祈ることで、慈悲の心が生まれ、それが残された者たちの心を救うという。

島津日新公は そのことが分かっていたからこそ

この《いろは歌》という形で 後世に残そうと考えたのかもしれない。

 

         🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

今年、年号が変わり、新しい天皇陛下の御代となった。

先の天皇陛下ご夫妻…現 上皇陛下ご夫妻は ご在位の時に

戦没者を慰霊する旅を続けてこられた。

 

戦後60年の節目の年に、当時の天皇陛下ご夫妻は海外の戦地として

最初に サイパン島を訪問をされた。

 「(天皇陛下は)国内だけではなく、国外でも

   先の大戦で犠牲になった日本人だけではなく、世界の人に対して慰霊したい

  ということを、前から強くご希望だった」

と、元 宮内庁長官の羽毛田 信吾氏は振り返る。

 

ご高齢、病気を患われた後も、パラオ🇵🇼のペリリュー島、フィリピン🇵🇭、沖縄…

と、この戦地訪問を続けてこられた上皇ご夫妻。

同氏の解釈によれば、お二人のご訪問は2つの意味合いがあると思われるのだという。

  「1つは犠牲になった人たちを心から悼む追悼の気持ち

   もう一つは、先の戦争の悲惨な歴史を忘れてはいけないこと

   後の世代、特に戦争を知らない世代に伝えること。

   両陛下の後ろ姿は、悲惨な戦争の歴史を忘れてはいけないことを訴えている。」

【 アングル:新たな皇室の時代築いた天皇陛下、戦争と向き合った在位 - ロイター

                                 より抜粋】

上皇陛下ご夫妻は、過去の戦争にゆかりのある国や地域を訪問されてきた。

両陛下ご夫妻は、日本人の戦没者のみならず、

敵であったアメリカ人や韓国人の戦没者も慰霊された。

お二人の祈られる姿は、島津日新公と同じように

戦死者を弔う時は、敵味方関係なく、真心から冥福を祈ろう

ということを 戦争を知らない世代の私たちに教え伝えてくださっているようだ。

 

 

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こ〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)
          いくさ
      🌱心こそ軍する身の命なれ そろゆれば生き揃わねば死す🌱
 
 

             士気こそが戦う者の命である。

 

            味方の軍隊の心が揃えば勝ち、

 

            揃わなかったら負けてしまう。

 

                                        【 戦いにおける教訓 】

 

        ー 衆心一致すれば勝ち、一致しなければ敗れる ー

 

  
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戦いに限らずだと思うのだけど、

集団の気持ちが一つに纏まっていれば、

目標の達成も容易くなるように思う。

 

        🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

ラグビー🏉のワールドカップ杯が一昨日、閉幕しました。

イングランド🏴󠁧󠁢󠁥󠁮󠁧󠁿 vs 南アフリカ🇿🇦 の間で行われた決勝戦

    12        ー  32

南アフリカ🇿🇦 に軍配が上がりました。

 

これまで、ラグビー🏉というスポーツを観戦等で 親しんでこなかったので、
ルール等に 私は あまり明るくありませんが、

それでも、日本の選手たち、チーム全体が、
1つになって挑む姿に 心震える瞬間を幾度も目の当りにしました。

ONE TEAM豊かな気持ちがそこにあるのを感じられる 素敵な言葉ですよね。

 

こういう集団を纏めるのって、すごく難しいと思うのですが、

年齢差を超え、たとえ出身国が違っても、

1つのチームとして成立するんだなぁ…

と、日本チームの躍進を本気で声援をしている自分がいました。

 

     軍隊を持つ国々もこういう《気持ちを一つにして…》

     という考え方をするのでしょう。

     ただ、そこには違った主義主張があり、

     互いに守るべきものがあり、

     戦いの後に 勝ち負けで分断された 《主従関係》が生じてしまいます。

 

ラグビー🏉は、スポーツとして戦いますが、

試合終了後、負けて泣きじゃくる選手たちと、勝って嬉し泣きする選手たちが

先程まで どんなに激しい戦いをしていたとしても、互いの健闘を称え合う

NO SIDE の精神》が素晴らしいと思います。

 

ラグビー🏉はコンタクトプレーの激しいスポーツですが、

元々、英国中流・上流階級の子息が入る名門校で行われた《紳士のスポーツ》でした。

それ故に、紳士的な精神を忘れぬように、

試合後に両チームの選手たちやスタッフ、審判団や協会関係者などが

一同に会して 軽食や飲み物を楽しみながら、
お互いの健闘を称え、労を労う交歓会が行われるそうです。

             〔試合・試合後の交歓会〕がセットでラグビー🏉。

試合が終われば、自陣と敵陣のサイドはなくなり、勝った側・負けた側の区別もない。

笑い話にして、全てを水に流し、敵も味方もなく、お互いを尊重する…

それが 紳士的な精神を基にした《NO SIDEの精神》です。

 

       🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

     将兵や軍隊全体の気持ちが一致団結すれば、

     戦いに勝つ確率は上がるでしょう。

     逆に、揃っていなければ、戦に負ける、

     則ち 死を招くことになるでしょう。

 

現代社会においては、企業の在り方も同じで、

規模の大小に関わらず、

社員皆で心を1つにして、一致団結することで、

企業の雰囲気は円滑に、業績も伸びていきます。

 

     戦争においては、技術の進歩により、数の論理が勝利の

     現在、紛争中の国や地域、民族は、

     《紳士のスポーツ》の持つ《NO SIDEの精神》を踏襲して、

     平和への一歩を踏み出しませんか?

 

自分の主義主張も大事ですが、

可能な限り、相手にも 思いを馳せることで

試合終了(「FULL TIME」)〜紛争解決、軍事作戦による人的被害・環境破壊の回避〜

が見えてきそうな気がします。

世界中の人々が安心して、早く平和に暮らせるようになるといいなぁ。

 

 

 

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ふ〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けこえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

     🌱無勢とて敵を侮ることなかれ、多勢を見ても恐るべからず🌱

 

                                        対峙する相手が少数の敵だからといって、

 

             これを侮ってはならない。

 

            逆に、敵が大勢だからといって、

 

             これを恐れることはない。


 
          ー常に自分を見失うことなく事に当たれー

 

 

 

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敵が少人数でも侮るな、大人数でも恐れるな
が日常的に頭の中を過るような時代だったから こそ
この《いろは歌》は詠まれたように思います。
 
            🍁   🍁   🍁   🍁
 

私が受験戦争真っ只中だった頃、母に

「友だちでも 敵(ライバル)なんだからね!」

「油断をしないで、勉強せんか(勉強しなさい)!」 

「勉強しないフリを見せといて、みんな陰で勉強をすったっど(するんだよ)!」

と よく言われるものでした。

 

「人に負けるな!」

と言われましても…。

元来、呑気者な私は、人を欺いて陰で勉強をすることはなく、

マイペースでしたが…(^◇^;)💦

 

思えば、もう少し勉強すれば良かったのかもしれませんが、

物事を納得しなければ、先に進めないタイプの人間なので、

当時の私には大層 難儀なアドバイスだっと思います。

 

            🍁   🍁   🍁   🍁

 

話は変わりますが…、

昔の戦争は、(普通は)人数が多い方が勝つ

      少人数で勝利した戦は、伝説になった

      勝つことへの執念が敵陣よりも勝ったから勝利した

そんなイメージがあります。

戦の始まりには、それなりに大義強い信念があったように思われます。

 

それでは、現代は?

戦ではなくても、人と人が諍う際に

あまりにも些細な原因で 争ってはいまいか?

 

面識もない相手に電話を媒介に行われるオレオレ詐欺

自分が優位に立ちたいがために SNSで相手を陥れる《誹謗中傷》

相手が自分よりも弱そうだと判断しての煽り運転

相手の行動が気に入らないと《暗殺行為》…

もしかしたら、自分の日常は 戦国時代よりも危険に晒されているのではないかしら?

 

日本人は少々、平和ボケ〜何か勘違い〜しているかもしれません。

       自分たちの国は経済大国なのだ…

       自分たちには優れた技術がある…

       自分たちにはこれからの技術・学術を支える人材がいる…

       自分たちの国は治安が良い…

                                本当に???

 

加えて、技術の進歩により、

今後の戦争は 大人数を投入しなくても

少数精鋭が 強い信念のもとに一致団結すれば

大敵を破ることができるようになることでしょう。

これからが戦争の無い世界であるように望みますが、
未来像を語るSFの世界は、破滅への警鐘を鳴らしていますし、

それは 私たちの行動ひとつ一つに掛かっているように思います。

 

過剰な危機意識は必要ないかもしれませんが、

今の自分の立場をきちんと見極めて、

常に自分を見失うことなく、事に当たれるような人で自分はありたいと思います。

 

 

 

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け〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

     🌱賢不肖もちひ捨つると言う人も 必ずならば殊勝なるべし🌱

 

           賢い人を用い、愚かな人を退けて、

 

            良い政治をすると言う人が

 

            必ずその通り実行できたら

 

             誠に感心なものである 。

 

            (だが、実行はなかなか難しい)

 


     ー 人の長所を見極める目と、適材適所の配置を心掛けよ ー

 

 

  
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今回のいろは歌は、

人の上に立つ者であれば、人柄や才能をできるだけ公平に見る目を養うべきである

という内容です。

 

あまり人の上に立ったという意識はないので、

私の動向には影響は無かったと思いますが、

やはり、仕事をしていれば、特に必要な配慮であると思います。

 

就職試験で尚兄ぃが経験したことを挙げれば、

採用枠3に対して、実務経験者2人、縁故採用1人

という結果もありました。

   。。。今時 縁故採用って…思います

       (当事者がSNSに「市会議員のオジのおかげで合格しました」と、

        一時的に書いたもので分かりましたが、直ぐに抹消されたようです)。

SNSに書く方も書く方ですが、この公平性のない採用試験には憤りを覚えます。

当該 採用試験の交通費(往復の航空運賃)、宿泊代、

結果発表当日の交通費と宿泊費…

近県の試験ではなかったので、結構な費用が掛かったように思います。

でも、問題は費用ではなく、採用側の姿勢です。

試験を行った側は、昔から「《縁故採用》だから、受験しても無駄だよ」

という評判が絶えないところだったようです。

まぁ、そういう所を ある程度 承知で受験したのだから、

仕方が無かったと思いますが、

それでも、縁故採用をするならば、募集をしなきゃ良いのにとも思います。

                                                (でも、それでは体面が保たれないのでしょうね)

 

そういえば、私が金融関係に就職した時にも

O君:「ウチの親父が支店長なんよ。」

Hさん:「私のお父さん、支店長なの。」

という声もありましたね。もう◯十年前の話ですが…。

採用人数も多かったから、会社のお偉いさんの縁故ばかりではなく、

取引先の子弟もおられたように思います。

たとえ、縁故採用でも、結果、優秀な人材もたくさんいましたので、

採用側としては、良い仕事をされた年度だったように思います。

ただ、未だ現場で頑張っている同僚の話を聴くと、

「何故、あの人があのポジションに?」

と疑問を呈するケースも最近ではあるようでした。

 

人にはそれぞれ、得手不得手があります。

ある部門では優れた能力を発揮できたとしても、

      他部門では難ありというケースもあるでしょう。

仕事はできても、倫理的に一緒に働きたくない

          と同僚に思われている人もいるでしょう。

 

総括して、社員・職員を平等な目で見て、適材適所に各々を配置していく…

            人事の仕事は容易くはない…寧ろ、難しいと思います。

人に優劣をつけるのではなく、

長所を見る目を養っていくことの重要性を胸に刻んで行動して欲しいです。

 

 

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ま〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおく けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

      まん      つか

    🌱万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな思案堪忍🌱
 
          「万能一心」と言う四字熟語がある。
 
          どんなに多くの技能を持っていても、
 
         真心が欠けていたら、何の役にも立たない。
 
               人に仕えるには、
 
           いくら自分に才能があったとしても、
 
              決して自慢することなく、
 
         常によく思案し、慎重に仕えることが大事である。

 


               ー万能よりも真心が大切ー

 

  
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島津日新公いろは歌は、「君主に仕えるためには、斯くあるべき」

という視点で書かれた詩歌であると思うけれど、

現代の、私たち一般人にも通じる内容もあるなぁ
と、思われるものも結構あります。
       「万能一心」…何事をするにも心を集中してしなければならないということ。
              また、あらゆる技芸をこなせても、真心が欠けていれば、
              何の役にも立たないということ。
              万能よりも真心が大切なことをいう。
              また、真心をこめてする意に用いられることもある。
              ▽「万能足りて一心足らず」の略。
               「万」は「まん」とも「ばん」とも読む。
 
       🍁     🍁     🍁     🍁     🍁
 
私の中学校の同級生のJさんは、所謂「頭が良い」女の子で、
県下一斉学力試験で、毎回10番以内に入る かなりの才女でした。
加えて ご両親が《医者》であることから、
「彼女も将来は医者になるのだろう」と、誰もが思っていたようでした。
 
ある時、担任の先生が 彼女が先述の試験で1番だったと学活で報告し、
クラスメイトたちから「おぉ〜!」「スゲェ!」と感嘆の声が上がる中、
彼女は顔を真っ赤にして、今にも泣きそうな 困惑した表情で
「『言わないで』って言ったのに…」
とボソリと呟いたのを 近くの席だった私は聴き逃しませんでした。
 
当時の私は、
   彼女が何故困惑した表情をしているのか?
   褒められることが嫌なのかな?
   私だったら嬉しいのに どうして?
そんなふうに彼女の様子を見ていました。
 
後に分かったことでしたが、
彼女は《医者の道》ではなく、
大好きだった《演劇の道》を 自分の進路として選択したそうです。
彼女の持ち味の一つの「頭の良さ」は
きっとその道でも一助となっていることでしょう。
 
医者になるための学力を 彼女は絶対に有していたことでしょう。
でも、学力があっても「 医者になりたい」という気持ちが無かったら
人を救いたい」という強い意志のある
本当の意味での医者にはなれなかったかもしれません。
 
       🍁     🍁     🍁     🍁     🍁
 
進路を決める時、私は逃げ腰だったかもしれません。
「◯◯になりたい」という希望はありましたが、
彼女のように 積極的なものでは無かったように思います。
間違った選択をしたくないので、
自分の身の丈に合った職業を選択したいという考えだけだったように思います。
 
人生の岐路で選択してきたことがあって、今の自分や家族があると思うと
私の選択は正しかったのだと思っていますが、
挑戦していたら、また違った人生だったのかもしれないなぁ〜と思います。
 
最近まで、介護していた母が昔話をする時に、
「あの時、違う選択をしていたら…」とか、
「今の時代に生まれていたら…」と
話していました。
 
夫:HIRO☆★  とは大学入学からの付き合いですから、
長い間に、人生の岐路の殆んどを一緒に迎えてます。
 彼の選択には、愛があるので、後になって
「あの時の選択は正しかったな」と思うばかりです。
 
息子:尚兄ぃはいろいろ迷いながらではありましたが、
就職の内定をいただきました。
彼の人生の岐路の選択が 充実し、後悔しないものになると良いな
と 願うばかりです。
 
娘:実ぃは 早くに自分の進路を決めました。
今はまだ漠然としているのかもしれませんが、
自分の将来像を自分の力で形にしていこうとしているのは
私の娘にしては、かなり頑張っているようです。
 
私のこれからの人生でも、何らかの選択を迫られることがあるのでしょう。
常に思慮深く、慎重に行動ができることは大事だし、
そういう自分でありたい。
何事をするにも、心を集中して対処・対策しいこう。
 

 

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や〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

    🌱やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥にふたつのつばさと知れ🌱

 

        「和らぐ」と「怒る」の二つを例えて言うと、

 

              弓(武)と筆(文)である。

 

      これらは、鳥が自由に空を飛ぶために 二つの翼があるように、

 

             一方を欠いては役に立たない。 

 


           ー寛厳宜しく使い分けて、事をなすべしー

 

  

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私の幼少期、両親はとても厳格に子育てをしておりました。

私が自由人であるが故 (褒めると調子に乗る可能性があったからか(*^-^*))、

あまり褒められた記憶がありません。

 

物事の触り(最初)は、きちんと教えてくれますが、

字が読めたり、書けること、

自分のことは自分でできること、

ピアノを弾けることは 当たり前。。。

褒められることがないため、この自分の状態が《当たり前》と

私は 子どもながらに 理解していたように 記憶しています。

 

当時としては珍しく、両親共働きの家庭でしたし、

保育所などは無く、親戚も遠かったので、

日中は 母の教え子(卒業生)がお手伝いに来てくれていました。

考えれば、幼児としては不思議な環境下にあったのかもしれません。

両親共に教師で多忙でしたが、それでも、愛情を生活の端々には感じていました。

 

室内の白壁には 油性マジックで「あいうえお…」の文字練習の落書きが

幼児の手の届く範囲ながら 所狭しに書かれていたようです。

「落書きはダメよ」と最初は、母に窘められますが、

そのうち、「好きにさせとけ」と父は言い、

転勤で 教員住宅を出る時には、父が漆喰で白壁を塗って弁償していたようでした。

 

そんな厳格だけど、放任にも近い生活の中、

私に衝撃的な瞬間が訪れます。

放課後、近所のお友だちの家に遊びに行った時、

「ママ〜!」とその女の子が母親に抱きついた瞬間でした。

笑顔で愛情深く抱きしめる友だちの母親自分の母親を比べた瞬間だったと思います。

その夜、仕事から帰宅した両親に「パパ〜」、「ママ〜」と甘えてみました。

すると、父は「何を甘ったれてるんだ!ウチではお父さん、お母さんだ!

と私は叱られてしまいました。

     随分 後になってから、母とこの話をしました。

     母:「あ〜、あの時ね。お父さんは 貴方に『パパ』って言われて、

       どうしたらいいのかわからなかったみたいよ。フフフ。

       照れくさいのもあって。」

     私:「じゃあ、怒らなくても良さげな…。」

     母:「昭和一桁にパパ呼びは小っ恥ずかしいわよꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)笑」

     。。。そういうことだったみたいです。

 

当時、6歳近く離れた弟が誕生し、

母は 主婦業・乳飲み子の母親・教師 と多忙な毎日でしたから、

私は 両親とは別の部屋で、弟の子守に来ていた父方の祖母と就寝していました。

両親の間に寝ていた自分の場所を 弟に取られてしまったけど、

弟は可愛いし、「まぁ、いいっか」という潔い諦めの心情だったように思います。

今思うと、当時の私を抱きしめてあげたいように、思います(´艸`*)

 

     🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂


物事の二面性を語る時、《アメ》と《ムチ》という言い方をします。

かの松下幸之助 氏が

     「打つべき時は打ち、

      労わる時は労わるところから

                      人間は正しく育つ。」

と言葉を残しておられます。

         「優しさばかりでは、人は成長しない。

         厳しいだけでも、人は萎縮し本来の力を発揮することができない…

                                まさに、寛厳よろしきを得ることができるように

         心掛けることが何よりも大事…」

 

時代は移り変わり…

尚兄ぃと実ぃを育てる頃になり、世の中は「褒めて育てよ」

という方向へシフトしてきました。

私などは厳格に「人様に迷惑をかけぬよう」と言い聞かされて育ったので、

そうかぁ?褒めるだけでいいのかぁ?

と思ってしまいます。

誤ったことをしたのに、何一つ注意叱責されなければ

過ちに気付かず改めることもできません。

一方、どれほど努力しても その苦労が評価されなければ、

意欲を失うばかり。

寛厳宜しく心得てこそ、人は伸びていくように やはり思います。

 

家族を含め、人と接する時 (或いは生き物と接する時)、

寛容の心で 相手を理解し、

厳しく間違いをを正せるような人でありたいと私は思う。

 

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