SA-CHiN☆★☆の ケ・セラ・セラ日記 plus

しっかり者のHIRO☆★ と 尚兄ぃ&実ぃの成長、ちゃらんぽらんなSA-CHiN★☆の記録

や〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

    🌱やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥にふたつのつばさと知れ🌱

 

        「和らぐ」と「怒る」の二つを例えて言うと、

 

              弓(武)と筆(文)である。

 

      これらは、鳥が自由に空を飛ぶために 二つの翼があるように、

 

             一方を欠いては役に立たない。 

 


           ー寛厳宜しく使い分けて、事をなすべしー

 

  

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私の幼少期、両親はとても厳格に子育てをしておりました。

私が自由人であるが故 (褒めると調子に乗る可能性があったからか(*^-^*))、

あまり褒められた記憶がありません。

 

物事の触り(最初)は、きちんと教えてくれますが、

字が読めたり、書けること、

自分のことは自分でできること、

ピアノを弾けることは 当たり前。。。

褒められることがないため、この自分の状態が《当たり前》と

私は 子どもながらに 理解していたように 記憶しています。

 

当時としては珍しく、両親共働きの家庭でしたし、

保育所などは無く、親戚も遠かったので、

日中は 母の教え子(卒業生)がお手伝いに来てくれていました。

考えれば、幼児としては不思議な環境下にあったのかもしれません。

両親共に教師で多忙でしたが、それでも、愛情を生活の端々には感じていました。

 

室内の白壁には 油性マジックで「あいうえお…」の文字練習の落書きが

幼児の手の届く範囲ながら 所狭しに書かれていたようです。

「落書きはダメよ」と最初は、母に窘められますが、

そのうち、「好きにさせとけ」と父は言い、

転勤で 教員住宅を出る時には、父が漆喰で白壁を塗って弁償していたようでした。

 

そんな厳格だけど、放任にも近い生活の中、

私に衝撃的な瞬間が訪れます。

放課後、近所のお友だちの家に遊びに行った時、

「ママ〜!」とその女の子が母親に抱きついた瞬間でした。

笑顔で愛情深く抱きしめる友だちの母親自分の母親を比べた瞬間だったと思います。

その夜、仕事から帰宅した両親に「パパ〜」、「ママ〜」と甘えてみました。

すると、父は「何を甘ったれてるんだ!ウチではお父さん、お母さんだ!

と私は叱られてしまいました。

     随分 後になってから、母とこの話をしました。

     母:「あ〜、あの時ね。お父さんは 貴方に『パパ』って言われて、

       どうしたらいいのかわからなかったみたいよ。フフフ。

       照れくさいのもあって。」

     私:「じゃあ、怒らなくても良さげな…。」

     母:「昭和一桁にパパ呼びは小っ恥ずかしいわよꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)笑」

     。。。そういうことだったみたいです。

 

当時、6歳近く離れた弟が誕生し、

母は 主婦業・乳飲み子の母親・教師 と多忙な毎日でしたから、

私は 両親とは別の部屋で、弟の子守に来ていた父方の祖母と就寝していました。

両親の間に寝ていた自分の場所を 弟に取られてしまったけど、

弟は可愛いし、「まぁ、いいっか」という潔い諦めの心情だったように思います。

今思うと、当時の私を抱きしめてあげたいように、思います(´艸`*)

 

     🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂


物事の二面性を語る時、《アメ》と《ムチ》という言い方をします。

かの松下幸之助 氏が

     「打つべき時は打ち、

      労わる時は労わるところから

                      人間は正しく育つ。」

と言葉を残しておられます。

         「優しさばかりでは、人は成長しない。

         厳しいだけでも、人は萎縮し本来の力を発揮することができない…

                                まさに、寛厳よろしきを得ることができるように

         心掛けることが何よりも大事…」

 

時代は移り変わり…

尚兄ぃと実ぃを育てる頃になり、世の中は「褒めて育てよ」

という方向へシフトしてきました。

私などは厳格に「人様に迷惑をかけぬよう」と言い聞かされて育ったので、

そうかぁ?褒めるだけでいいのかぁ?

と思ってしまいます。

誤ったことをしたのに、何一つ注意叱責されなければ

過ちに気付かず改めることもできません。

一方、どれほど努力しても その苦労が評価されなければ、

意欲を失うばかり。

寛厳宜しく心得てこそ、人は伸びていくように やはり思います。

 

家族を含め、人と接する時 (或いは生き物と接する時)、

寛容の心で 相手を理解し、

厳しく間違いをを正せるような人でありたいと私は思う。

 

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