SA-CHiN☆★☆の ケ・セラ・セラ日記 plus

しっかり者のHIRO☆★ と 尚兄ぃ&実ぃの成長、ちゃらんぽらんなSA-CHiN★☆の記録

あ〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこえて さきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

    🌱あきらけき目も呉竹のこの世より 迷はばいかに後のやみぢは🌱

 

        明るい現世でも 目が眩んで、迷うというのならば、

 

          死後の闇の世界ではどうなることだろう。

 

              ますます迷うだろう。


 
            ー早く仏の道を収めて、悟りを開けー

  
            

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『輪廻転生』、
『前世の行いが良かった(悪かった)』、
『因果応報』
『生まれ変わり』…
身の回りには、過去・現在・未来が直接的ではないにせよ、
何かしら 各時代の個々と繋がりがあるような言葉が幾つもあります。
現在の記憶しかないのに、よくこんな発想や言葉が生まれてきたものだと思います。
 
こういう思想の由来として、ヒンドゥー教や仏教など、
インド哲学・東洋思想によるところが大きいのかと思っていたら、
古代ギリシャの宗教や哲学などを含め、世界の各地に見られるのだそうです。
 
父親が考古学を生業にしていたのも影響したのか、
小さい頃から詳細は分からないまでも
過去・現在・未来という概念は 爆然と私の中にはあったように思います。
 
祖母や両親の言葉の端々に、
「良い子にしていないと 極楽には行かならんど(行けないよ)。」
「悪いことをすれば、夜に※1《あんもいどん》が来っど(家に来るぞ)」
《あんもいどん》…社会的な記録が見当たらないので 正確なことは分かりませんが、      
                「暗闇から忌み嫌う怖い何者かが襲ってくる」
子どもの頃 思っていたような気がします。
                 ※1 南九州には《もいどん(森殿)》という民間信仰の名残があり、
                 小さな雑木林の中に巨木が生えており、その巨木を中心とした小さな
                 空間を「民俗神の聖地」《もいどん》というようです。

想像力たくましい私は、悪戯をとがめられて

怯えて眠りについたこともあったように記憶しています。

 

信仰の聖地である《もいどん》を汚すことが祟りにつながり、

親から聴いた《あんもいどん》は祟る者を具現化したものだったのかもしれません。

自由人である私を制御する存在であったことは間違い無いでしょう。

「人に迷惑をかけぬように」と考えながら、

私を育てた両親の策は成功したのだと思います(*^-^*)

 
島津日新公によると、
 「目先の欲望に囚われず、目の前に見えている現実を正しく見て、
  精一杯取り組めば、それが明日へとつながる。
  迷ってばかりいては、明日の見通しは立たないままだろう。」
とのこと。

人は良い行いをすれば良い報いがあり、
  悪い行いをすれば悪い報いがある。
       …行為の善悪に応じて、その報いがあること…
自分が経験してきたことが 今の自分を構成している訳で、
私の来世は 今と さほど変わり映えしないのかもしれません。
でも、来世が素晴らしき時代になるように…
と大上段に構えるのは性に合わないですが、
せめてもの、悔いを残さぬように
誠実に、精一杯 今の時代を生きたいものです。
 
  
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