SA-CHiN☆★☆の ケ・セラ・セラ日記 plus

しっかり者のHIRO☆★ と 尚兄ぃ&実ぃの成長、ちゃらんぽらんなSA-CHiN★☆の記録

さ〜郷中教育〜

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
                                                 うゐのおくま けふこえて あきゆめみし ゑひもせす

 

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ごじゅきょういっ・・・郷中教育(ちょいと昔の、田舎の子育て事情)

 

    🌱酒も水流れも酒となるぞかし  ただ情あれ君がことの葉🌱

 

          酒を与えても、水のように思う者や、

 

    川に注いで飲ませても、少しの酒で感謝して奮い立つ例もある。

 

             要は 与え方の問題である。



        ー上に立つ者は、思いやり深く、情け深くあれー

 

  
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この《いろは歌》は、中国の故事
     越国の王の勾践は酒をもらったが、
     自ら 飲むにしのびず、
     かと言って 皆に飲ませる量でもなかった。
     そこで上流に酒を注ぎ、
     兵士はその川の水を 酒のようにありがたく飲み、
     やがて呉の国との戦に 越国は勝った
という逸話を基にしているらしい。
 
王として お酒を貰ったけれど、兵士全員に振る舞うには足らないのならば、
足りるようにお酒を追加調達して…と私は思いましたが、
時は 魏呉蜀三国時代、あの戦乱の世のお酒たるや、
貴重品扱いで なかなか手に入らなかったのではないか?
 
私が兵士ならば、お酒を嗜む方ではないので、
「お気持ちだけ頂戴いたします」とご遠慮申し上げたいところですが、
それはそれで 主君に対して 礼を失するような気もします。
 
この故事のように、川上から酒を流して、
下流の兵士たちに掬って飲ませるのがベストなのかは分かりません。
でも、そもそも これは、酒を「分け与える」話ではなく、
将たるもの、常に深い情けで 部下に接し、
 たった一語であれ、相手のことを考えた言葉を掛けるように努めなさい
という 歴代藩主に対する指南の句です。
 
真心の乏しい人からの一言は、
形式的だったり、自己中心的だったりで、
酒とも水とも言えない不味さを感じ、
有り難さも微塵も感じないことでしょう。
 
逆に、心豊かで、相手に対して思いやりの深い人からの一言には
部下は大いに士気を高め、
時には 厳しい言葉でさえも その言葉の裏にある本当の優しさを
汲み取ることができることでしょう。
 
自分の意思の有無に関わらず 人の上に立つことになった人は、
相手に対しての思いやりを持って、情け深く対応する必要を感じます。
 
その思い、真心が存在しなければ、
その人から発せられた言葉は形ばかりの美辞麗句となり

反発さえ覚えることだってあるかもしれません。

でも、心が相手に寄り添うならば、

相手は大きく奮い立ち、君主のために全力で忠義を尽くしてくれるはず。

 

       🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

 私自身は、自ら人の上に立つような人ではありませんが、

止むを得ず、そういう立場に立ったことが幾度かあります。

     (自分でも 支える側が性分に合っているように思いますしね(*^-^*))

 

子ども会の会長に “あみだくじ“でなってしまったことがありました。

元来、自分は与えられた仕事を忠実に遂行するタイプであるし、

役員全体に気持ちよく仕事をしてもらいたいと思っていたこともありました。

ですが、引き継ぎで聴いていた以上のたくさんの仕事が 私に降りかかってきました。

    ◯町内会の学区 4校(G小・N小・SY小・SW小)の地域連携会議…月に1回(火)

    ◯市内のJ2地区の子ども会長会議…月に1回(土)

    ◯S自治会の理事会議(子ども会会長が自治会理事を兼務)…2週間に1回(土)

    ◯S自治会の行事参加…年数回

    ◯警察との地域連携…年2回

    ◯子ども会のホームページ(市役所主導で作るように)…随時更新

    ◯子ども会の会議…2週間に1回(土)

    ◯子ども会のイベント…2カ月に1回(土)

    ◯子ども会新聞の発行準備・役員への配付・町内会掲示板への掲示…随時更新

    ◯子ども会遠足の企画と交渉・バス手配・引率

    ◯………etc.

役員の皆さんに、自分の家庭への負荷が大きいので 分担を何度かお願いしましたが、

誰も手を挙げてくれません。

  「面倒なことはやりたくない」

  「役員も引き受けたくなかったけど、子どもがお世話になってるからやむなく」

そういう方ばかりだったから、仕方がなかったのかもしれません。

かくいう私も、後者でしたし…。

 

晩ご飯を配膳して、

小学3年生の尚兄ぃに 小学1年生の実ぃの面倒をお願いして、

土曜日や平日の夜7時からの会議に赴きますが、

加わるべき会議の多さに 心身ともに 悲鳴をあげていました。

その頃、主人の母とも同居していましたが、

   「子ども会の会長をやらないで。

    やったら、一切、手を貸しません。」

と反対され、仕事の忙しかったHIRO☆★の手も当然 借りれず、

睡眠時間 4時間、孤軍奮闘・怒涛の1年間でした。

 

その年の秋頃、義母が癌を発症し、

入院の付き添いや介護が私の作業に加わりました。

役員会議の場で 事情を話すと

さすがに、今までのように 子ども会の活動に時間は割けないことを

役員の面々は理解してくれて、

自分の子どもの学区の会議と自治会会議の半分は分担してくれました。

それだけでも、私は随分楽になりました。

 

一緒に役員をしていた友人の1人が その会議の後で、

  「やっと『手伝うよ』って言えた。」

と安堵の表情で話しかけてきました。

不思議に思って、その言葉の真意を尋ねると、

自分が『手伝う』と表明をしたら、睨まれそうで言えなかった

…とのこと。

 

私自身、役員の1人から

「 SA-CHiN ★☆は、自治会側の人間だからねぇ…」

という発言を言われた時に、何かが「ぷちん」と切れたことがあり、

   「子ども会は自治会は組織の一部だから 理事を兼務しているけれど、

    私は子ども会の会長になったのだから、

    優先順位は 子ども会が先。

    基本、子ども会の側の人間だと思ってる!」

と言い放ったことがありました。

友人が気にしていたのは彼女だったようで、

    「ちょっとスッキリした(*^-^*)」

と私の発言を喜んでいるようでした。

 

        🌱  🌿  ☘       🍀  🍃  🍁  🍂

 

子ども会の会長は、人の上に立つ大変さを学ぶ良い機会だったと思います。

同時に、手伝ってくれる人たちに 自ずと感謝している自分にも気が付きました。

この時代に出会った人々も 私の大事な人たちです。

 

オマケですが、大変な思いをして頑張った私たちの子ども会は

思いがけず、市から表彰されました。

頑張っているところを見ていてくれる人がいたことは

自分自身を認めてもらえたような気がして、

すごく嬉しくなりました。

 

人を説得して 動いて貰うより、自分で動いてしまう性分の私は

やはり、人の上に立つ人では無いように思います。

でもね、上に立ってくれた人が仕事をしやすいように

サポートしてあげられる存在でありたいと思います。

 

 

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