さ〜郷中教育〜
酒を与えても、水のように思う者や、
川に注いで飲ませても、少しの酒で感謝して奮い立つ例もある。
要は 与え方の問題である。
ー上に立つ者は、思いやり深く、情け深くあれー
この《いろは歌》は、中国の故事
反発さえ覚えることだってあるかもしれません。
でも、心が相手に寄り添うならば、
相手は大きく奮い立ち、君主のために全力で忠義を尽くしてくれるはず。
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私自身は、自ら人の上に立つような人ではありませんが、
止むを得ず、そういう立場に立ったことが幾度かあります。
(自分でも 支える側が性分に合っているように思いますしね(*^-^*))
子ども会の会長に “あみだくじ“でなってしまったことがありました。
元来、自分は与えられた仕事を忠実に遂行するタイプであるし、
役員全体に気持ちよく仕事をしてもらいたいと思っていたこともありました。
ですが、引き継ぎで聴いていた以上のたくさんの仕事が 私に降りかかってきました。
◯町内会の学区 4校(G小・N小・SY小・SW小)の地域連携会議…月に1回(火)
◯市内のJ2地区の子ども会長会議…月に1回(土)
◯S自治会の理事会議(子ども会会長が自治会理事を兼務)…2週間に1回(土)
◯S自治会の行事参加…年数回
◯警察との地域連携…年2回
◯子ども会のホームページ(市役所主導で作るように)…随時更新
◯子ども会の会議…2週間に1回(土)
◯子ども会のイベント…2カ月に1回(土)
◯子ども会新聞の発行準備・役員への配付・町内会掲示板への掲示…随時更新
◯子ども会遠足の企画と交渉・バス手配・引率
◯………etc.
役員の皆さんに、自分の家庭への負荷が大きいので 分担を何度かお願いしましたが、
誰も手を挙げてくれません。
「面倒なことはやりたくない」
「役員も引き受けたくなかったけど、子どもがお世話になってるからやむなく」
そういう方ばかりだったから、仕方がなかったのかもしれません。
かくいう私も、後者でしたし…。
晩ご飯を配膳して、
小学3年生の尚兄ぃに 小学1年生の実ぃの面倒をお願いして、
土曜日や平日の夜7時からの会議に赴きますが、
加わるべき会議の多さに 心身ともに 悲鳴をあげていました。
その頃、主人の母とも同居していましたが、
「子ども会の会長をやらないで。
やったら、一切、手を貸しません。」
と反対され、仕事の忙しかったHIRO☆★の手も当然 借りれず、
睡眠時間 4時間、孤軍奮闘・怒涛の1年間でした。
その年の秋頃、義母が癌を発症し、
入院の付き添いや介護が私の作業に加わりました。
役員会議の場で 事情を話すと
さすがに、今までのように 子ども会の活動に時間は割けないことを
役員の面々は理解してくれて、
自分の子どもの学区の会議と自治会会議の半分は分担してくれました。
それだけでも、私は随分楽になりました。
一緒に役員をしていた友人の1人が その会議の後で、
「やっと『手伝うよ』って言えた。」
と安堵の表情で話しかけてきました。
不思議に思って、その言葉の真意を尋ねると、
自分が『手伝う』と表明をしたら、睨まれそうで言えなかった
…とのこと。
私自身、役員の1人から
「 SA-CHiN ★☆は、自治会側の人間だからねぇ…」
という発言を言われた時に、何かが「ぷちん」と切れたことがあり、
「子ども会は自治会は組織の一部だから 理事を兼務しているけれど、
私は子ども会の会長になったのだから、
優先順位は 子ども会が先。
基本、子ども会の側の人間だと思ってる!」
と言い放ったことがありました。
友人が気にしていたのは彼女だったようで、
「ちょっとスッキリした(*^-^*)」
と私の発言を喜んでいるようでした。
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子ども会の会長は、人の上に立つ大変さを学ぶ良い機会だったと思います。
同時に、手伝ってくれる人たちに 自ずと感謝している自分にも気が付きました。
この時代に出会った人々も 私の大事な人たちです。
オマケですが、大変な思いをして頑張った私たちの子ども会は
思いがけず、市から表彰されました。
頑張っているところを見ていてくれる人がいたことは
自分自身を認めてもらえたような気がして、
すごく嬉しくなりました。
人を説得して 動いて貰うより、自分で動いてしまう性分の私は
やはり、人の上に立つ人では無いように思います。
でもね、上に立ってくれた人が仕事をしやすいように
サポートしてあげられる存在でありたいと思います。