途中下車 広島にて・・・2007.08.09
※ 2007年 夏休みのお話です・・・
新幹線で帰省することになり、
尚兄と相談して、広島で途中下車してみようということになりました。
というのは、
この夏休みに 尚兄が読んだ本『平和の種をまく』で
”戦争と平和”について考えさせられたこと、
広島には、尚兄の大好きな路面電車が走っていること、
が大きな理由でした(尚兄は後者目的だったかも!)。
折りしも、広島を訪れた当日は長崎に原爆投下されたNAGASAKI Day。
広島はそれに先立つ8月6日に原爆慰霊祭が行われていました。
爆心地から160m。
その美しかった建物が骨組みのみ残して、
無残な形で残っています(世界遺産)。
【動員学徒慰霊塔】
日本国民として国に奉仕しようとしていた高校生らが
日本国民として国に奉仕しようとしていた高校生らが
爆心地の付近で学徒動員中に6,300名も犠牲になりました。
子どもの親として胸が張り裂けそうになりました。。。
【モニュメント:原爆の子】
「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑を作ろう」との呼びかけに、
「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑を作ろう」との呼びかけに、
3,100校余りの生徒と、世界9か国からの支援によって完成したのが、
このブロンズ像。
現場で被爆して亡くなった方々。
後遺症で亡くなった被爆者の方々。
今尚、後遺症で苦しむ高齢の被爆者の方々。
戦争はどれだけの命を犠牲にすれば終わりになるのか?
3日前に行われた広島平和記念式典で、
当時の総理大臣 安倍晋太郎氏が献花された花輪もまだ残っていました。
原爆慰霊碑の前で手を合わせると、
モニュメントのアーチの中に
原爆慰霊碑―平和の灯火―平和の池―原爆ドーム
がつながって見えました。
きっと、平和を願う象徴として、
このラインは作られたのでしょうね。
ジオラマを示しながら説明してくれます。
核爆弾リトル・ボーイはB-29”エノラ・ゲイ"が投下・急旋回離脱した後、
爆心地付近上空の600mあたりで爆発したこと。
爆心地付近上空の600mあたりで爆発したこと。
学徒動員中の子どもたちがたくさん犠牲となったこと。
「水を下さい」と訴えながら、被爆者たちが亡くなっていったこと。
あの惨状の中で、奇跡的に助かった人もいるそうです。
地下にあった下駄箱付近にいた小学生と教師が、
奇跡的にあの熱風から逃れることができたそうなのです。
写真を撮影できるところは撮影するつもりで入館したのですが、
あまりの惨状にシャッターを押下できませんでした。
12歳の女の子が被爆して、皮膚がただれ、
衣服と区別ができないような様子、
5歳の子が親を求めてガレキと化した町の中で探しまわる様子
そんな様子を実物大の人形で表しているコーナーでは、
涙が止まりませんでした。
衝撃波で破壊された広島の市街地、
爆風で骨組みだけ残った建物、
高熱火災で捻じ曲がった数々の金属、
一瞬の熱線で焼死した人の陰が残った瓦…。
平常心で正視することはできませんでした。
最初は、”広島観光”、”原爆を知ろう”と意気込んでいた子どもたちも、
原爆記念館から出てきた時には、
尚兄は難しい表情でだんまりとなり、
実ぃは私の手を握ったまま離れなくなっていました。
まだ、二人は小学生。
実ぃに至っては、未経験のことはピンとこない、
10歳にも満たないお子ちゃま。
原爆や戦争を本当に理解できたか わかりませんが、
何かしら覚えるところがあったみたい。
これから先の世の中に、二度と行なってはいけない戦争。
二度と使ってはならない核兵器。
日本が、世界中の国々が、民族が、人々が…、
争いごとのない、真の平和な時代を生きられるように・・・
イラスト提供♪:素材屋ロロさん