そ〜郷中教育〜
🌱そしるにも 二つあるべし 大方は 主人のために なるものと知れ🌱
人が 他の人を謗(そし)るのには 二通りある。
一つは 自分との利害関係からのただの不平や悪口。
もう一つは、相手を思うあまりに発せられた諌言。
人の上に立つ人は、そのどちらの声にも耳を傾けよう。
不平や悪口の中には 改善すべき点を見つけ、
諌めようという言葉の 真意を知ろう。
動機の如何に関わらず、大事な意見として
その意図を汲み
寛大な心で受け止めるべきである。
ー 耳が痛い”諫言(かんげん)・忠言”の中にも反省の資(もと)が眠っている―
13年前の暮に亡くなった義母さんと 大喧嘩をしたことがありました。
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義母さんの部屋で 楽しそうに遊んでいたはずの実ぃ(当時2歳)が
義母さんの部屋で 楽しそうに遊んでいたはずの実ぃ(当時2歳)が
火が付いたように 泣きながら、私の胸に飛び込んできました。
私:「実ぃちゃん、どうしたの?」
ヒックヒックと泣きじゃくりながら、
実ぃ:「実ぃは…シネ…って、言ってないもん…。」
と 言葉を綴るのが やっとでした。
状況が分からなかったので、
二人の話を 別々に よく聴いてみると、
ママゴトをしていた時に、
「早くしてね」と 実ぃが言ったのを
ちょっと耳の遠い義母さんが 「早く死ね」と孫に言われた と思い込み、
実ぃを叱責した…ということが分かりました。
2歳の実ぃに「死ね」という言葉を教えていませんし、
彼女が「死ね」という言葉を理解していたとは思えませんし…。
明らかになった状況を、義母さんに説明しましたが、
義母:「嫁の言うことなんて、信じられますか!
あなたが 言わせたんでしょ!」
と トバッチリを受けてしまいました。
私は 子どもたちの4つの瞳が見つめているのにも関わらず、
主人の胸で 柄にもなく 私は 大泣きしました。
子どもたちも 私の足にしがみついて 一緒に泣いていました。
義母と実ぃを執り成そう…と思って、
”諫言”したことがお気に召さなかったようです。
実は、何度も こういった トバッチリを受けました。
でも、義母さんは、本当は状況をちゃんと認識されていたんです。
孫の失言ではなく、自分の耳が遠いことが原因で起こったことを。
ただ、それを認めたくなかっただけだったんです。。。
義母さんの気持ちが分かったのは
亡くなる2カ月くらい前の 病院でのことでした。
毎日、「調子はどうですか?」と 病院に赴く私に、
義母:「S(さーちん)さん、今まで意地悪して ごめんなさいね。」
と、唐突に謝りだしました。
私:「何 言ってるんですかぁ。義理でも親子じゃないですかぁ。」
同室の他の患者さんの目もあったので、おどけて答えました。
でも、内心は 穏やかではありません。
人に頭を下げたことのない義母さんが、頭を下げるなんて…。
嫌な予感が 頭の中を過ぎりました。
なおも 繰り返し 頭を下げる義母に、
私:「そんなことを仰るのなら、
早く元気になって、家に帰りましょうね(^^) 。」
と 笑ってごまかすのが やっとでした。
私を知る方が見ていたら、引きつっていたのが分かったことでしょう。
でも、この日を境に 私たちは本来あるべき姿にに 近づいたような気がします。
70余年、生きてきた人には、
その人生の中で培ってきたものがあるから、
容易には 自分を変えられない。
それならば、若い私たちが 柔軟になろう。
私たちは、そういう姿勢で 義母さんに接してきましたが…。
全てにおいて、もう少し意地を張らずに 受け入れてくださったら、
もっと楽しい時間を 共にできたかもしれない…
と 今でも 悔やまれてなりません。
諫言:目上の人の非を諌めること。